「最近、ダセイになってしまって…」「こんなダセイの生活から抜け出したい…」等々、どうやら『惰性』というヤツは嫌われ者で極悪と思われているらしい。そうなると、私の中の天の邪鬼がムクムクと起きあがり、「ちょっと待ってくれ! ダセイ君はホントはいいヤツなんだ!」と思わずにはいられない。こんな時こそ私の出番。さあ、特捜隊の出動だ!?
『惰性』と聞いて、私の頭にいつも真っ先に浮かぶのは、高校の時の科学の授業で習った『慣性(かんせい)の法則』だ。いや、昔から学業について“文系”でも“理系”でもなく、どちらかというと“美術系(?)”の私のこと。方程式だとか何だとかは、すっかり記憶に残っていないのであって、あくまでも科学としてではなくイメージとしての『慣性の法則』のことである。
その状態では『初速』はないにしても『慣性エネルギー』を持っているらしい。嬉しいことに私は『惰性』と『慣性』の違いがわからないので、「なんだぁ…、『惰性(だせい)』だってエネルギーに満ちているわけじゃん!?…」と思ってしまう。
考えてみれば、私自身思い当たることが多い。こんなにタラタラ生活しているのに、なんで生きている甲斐があるのか…。いまが放物線の途中だとすると、止まっているように思えても実は確かに動いているはずだ。エレベータで移動の途中に動きを感じなくなるようなものかな?
私も含めて、知り合いの多くの人は、生活に目新しい出来事が起きない状態が続くと、何処か物足りなさを感じ、自分が描いた放物線が間違いだったのではないか?、もっと頑張らねばならないのではないか?と思ってしまうようだ。確かに単調よりはある程度の変化は嬉しい。頑張らないよりは頑張った方がいいに決まっている。しかし、無理は禁物。『惰性のエネルギー!?』を認められずに、自分を酷使して身体を壊したり心を患ったりしては本末転倒である。更なる飛躍どころか、放物線はふりだしから始めるハメになってしまう。エコロジーや省エネの観点からしても、このエネルギーの損失は良くない。また、それまでの放物線を見つめ支えてくれた人々に失礼ではないのか…。高校の物理の先生が教えてくれたように、そこにいるだけでエネルギーを持っているのだから、それを有効に利用して、本当は現状に少しだけ新たな力を加えればそれでいいはず。『惰性』がついていることは何と素晴らしいことか!
そう、私はこうして、努力を怠っている自分を慰めるのだ!
結論●1.『一時の気まぐれで全てを失うことなかれ』
●2.『こんな私に文句があるか!』
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