WEBデザイナー・グラフィックデザイナー安田昌平がネット上に開いた社会のまどの中のブログ

『誰も恨めない』

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お久しぶり。

 さて、突然だが、あなたは「向こうずね」をコンクリートの角にぶつけて、目頭を熱くしたことはないだろうか…。当のスネばかりか、しびれるような温かいような切なさが全身に行き渡り、しばらくの間は身体に力が入らない。なんとも形容しがたいアレである。弁慶でさえ泣くのだから、私など号泣といったところだ。

  もっとも、コンクリートの方が向こうずねに襲いかかって来たような場合は別だが、通常は自らがスネを“角”に運んだというケースが多いはずで、責任は自分の不注意にある。こんな時、つい口をついて出てしまうのが…「チックショー、これじゃぁ誰も恨めねぇや…」という言葉。もちろん、私にも過去に口にした経験がある。なんたる不覚か。

 一見、ユーモラスにも見えるこの光景だが「ことば特捜隊」を名乗る私が、これを黙って見過ごす訳にはいかない!

 『誰も恨めない』を口にする輩には、ぜひ大きな声で問いたい。「誰かを恨めば、その痛みは消え去るのか!」しかし、私はその答えを知っている。いや、みんな本当は知っているはずだ。それに気が付いたからには決して過ちを繰り返してはならない。なぜなら『誰も恨めない』を口にするのは、無意味なだけでなく逆効果と言っても過言ではないからだ。
  そもそも、あわよくば誰かに責任を転嫁しようという性根がバツなのだが、そればかりでなく、的確な事態の分析による再発防止への取り組みの妨げになるその発想は、何より本人のためにならないのだ。さらに言うなら、そうした不用意な発言が周囲の人に「向こうずねを打った時には誰かを恨めば痛みが消える!?」という発想を植え付けないとも言えない。そうなると本人も気づかぬ間に、単なる間抜けでは済まされない「人類の敵」となってしまうのだ。

 痛い時には「痛い」とだけ言って、おとなしく痛みがおさまるのを待とう。たぶん向こうずねを打った程度では死なないはずだ。そして、自分の間抜けさや情けなさをも恨んではいけない。そんな余裕があったなら、骨に異常がないかどうか確かめて骨折だったならば、救急の電話番号を思い出そう。そうでなければ再発防止の策を考えよう。

結論●1.『向こうずねをぶつけると、とても痛い』
  ●2.『他人を呪わば穴二つ』

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このページは、Yasudaが2001年11月 9日 18:28に書いたブログ記事です。

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