私が始めて“リンク”の重要性に気が付かされたのは、月刊誌の編集社に就職して間もなく、Mac導入以前のことである。それまでは、印刷物に“誤植”なるものが存在するとか、“誤植”の危険性が日常的に迫っていることなど、全く知らずに生きてきたが、その後、何度と無くコレに悩まされることになった。そこで初めて、原稿と初校のリンク、再校と仕上がりのリンクは勿論、雑誌の場合には一つの直しに対して関連記事や目次とのリンクにも、細心の注意をはらわなければならないことに戸惑った。大いに驚きを感じたことを今でも鮮明に覚えている。それらは短絡的、衝動的に暮らしてきた私には大きなプレッシャーになった(なっている)ことは言うまでもない。しかし、その時から“リンク”を自在に操れる人間になることが、私の目標になったのだ。
何かプロっぽい……。それだけが目標を掲げた唯一の動機だった。目の前にある事柄ばかりではなく、それによって生じる様々に波及する現象の数々に神経を張り巡らす。あるいは、一つの事柄の奥に潜んでいる別の事柄との関係に気づき、操る……。何と、格好いい世界があるのだろう! 安田青年は“リンク”の世界に魅せられた。
その後、数年の内に印刷業界の様子は一変し、作業の行程はあっという間にデジタル化の波に飲み込まれてしまった。…なんだ? コンピュータがやってくれるの? そう、“リンク”という言葉はコンピュータの中では先ず前提となる。がっかりである。自分が“付加価値”として考え、憧れさえ抱いていた愛しの“リンク”が、いつの間にか“前提”=“当たり前”に成り下がっていたのだ。「人間にはもう、あのプロっぽさは不要なのか!?」。行き場を失った安田青年の情熱は何処へ行けば良いのか?
あった!“リンク”はそこらじゅうにあるではないか。印刷物の行程のように、はっきりと白黒付くようなものではないが、世の中や私の頭の中で、まだ脚光を浴びずにたくさん埋もれている。そうだ、見つけただけではすぐに忘れてしまう。記録して蓄積してみよう!
ってな訳で、今まで私の頭の中だけで機能していた“リンク”をコンピュータとつなげてみる試みをスタートすることにした。たわいもないことばかりになる可能性大だが、一度は実行してみないことには安田青年の気が収まらないのだ。
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